鉄道

鉄道の町・直方

直方市は、筑豊炭田として石炭産業で栄えた頃、鉄道輸送の基地がある町として多くの蒸気機関車(SL)や貨車でにぎわいました。輸送手段が水運(遠賀川を利用した五平太船での輸送)から陸運(鉄道輸送)に代わっていくきっかけとなったのが、1891(明治24)年8月の筑豊興行鉄道(現在のJR筑豊本線)の開業でした。筑豊地域に敷かれた最初の鉄道で、直方駅と若松駅の間で始まりました。

直方駅とともに直方機関区が置かれ、ここが石炭輸送の基地となりました。「直方駅80年のあゆみ」(直方駅発行)によると、1937(昭和12)年度には、全国の石炭出炭量の3分の1が直方駅に集まり若松港や八幡製鉄所(現在の日本製鉄九州製鉄所八幡地区)などに送り出されました。2代目の直方駅舎は、1910(明治43)年に建て替えられましたが、現在は玄関の車寄せだけが駅前公園に復元されて姿をとどめています。機関区の象徴で現在の御館橋付近にあった扇形機関庫は当時を知る人々の記憶の中に刻み込まれています。

鉄道スポット

特定非営利活動法人 汽車倶楽部

SLを静態保存するとともに、
SLの修復に取り組んでいる。

9600形59647号機

1922年(大正11)年製造の国産機。専用のガレージで静態保存され、今も汽笛を鳴らせる。筑豊本線を走った最後のSL2両のうちの一つ。74(昭和49)年12月22日、田川市石炭・歴史博物館で静態保存されている9600形59684号機との重連で客車6両をつないだ「さよならSL」をけん引した。9600形は直方機関区に多く配置され、石炭列車を引っ張るSLの代表格だった。

大型ジオラマ(鉄道模型)

汽車俱楽部が直方駅の2代目駅舎(1910年建築)と扇形機関庫を再現。原寸の80分の1の大きさで、23畳分もある。駅プラットホームや校内、転車台、23線ある機関庫などの実物の姿を大工経験者の丁寧な手仕事でほぼ忠実に再現され、SLやディーゼル機関車のDD51形、「レッドトレイン」と呼ばれた赤い50系電車などの姿も見られる。

D51形10号機、C12形241号機ほか

汽車倶楽部には、修復中のSLもある。D51形は10号機は「なめくじ」と呼ばれるタイプで、デゴイチの中でも初期型。「なめくじ」とは、ボイラー上の煙突から給水温め機、動輪の空転防止用の砂を納めた砂箱、蒸気溜めまでを覆った一体型のドームの形状から。1973年10月にSLが姿を消した直方機関区に最後まで在籍した。C12形241号機は、熊本県の国鉄高森線や第3セクター転換後の南阿蘇鉄道で活躍した。

  • 住所

    〒822-0002 直方市頓野550-1

  • 電話

    0949-26-9600

  • 営業時間

    【月・火・金・土曜日】12:00〜18:00 、【日曜日】10:00〜18:00

  • 定休日

    水・木曜日

  • 駐車場

    あり

  • 備考

    HPはこちらからクリック

ACCESS

嘉麻川橋梁

平成筑豊鉄道南直方御殿口駅
あかぢ駅間の遠賀川にかかる鉄橋

全長221.2メートル。遠賀川はかつて「嘉麻川」と呼ばれ、平成筑豊鉄道の前身である国鉄伊田線が開業した1893(明治26)年当時の名称を当てたと考えられている。伊田線は田川方面から北九州方面への石炭輸送を目的に、筑豊興業鉄道(1894年から1897年まで筑豊鉄道)が直方-金田間(現在の上り線)をまず敷設。筑豊鉄道と合併後の九州鉄道が1911(明治44)年に直方-金田間を複線化したため、橋梁が二つある。橋台は煉瓦積み。上り線の橋梁は建設当時のイギリス製が今も残る。

  • 住所

    〒822-0034 福岡県直方市山部

  • 電話

  • 営業時間

  • 定休日

  • 駐車場

    なし

  • 備考

多賀第3跨線橋

筑豊本線と平成筑豊鉄道伊田線をまたぐ人道橋

殿町と多賀神社や直方市石炭記念館を結ぶ跨線橋で、直方駅構内の転車台を転用した。かつて石炭列車が行き交った筑豊本線、平成筑豊鉄道伊田線はともに九州鉄道時代の明治期から複線。今も跨線橋の上から線路が並ぶ光景を眺めながら、石炭輸送で栄えた時代をしのぶことができる。

  • 住所

    〒822-0017 直方市殿町15

  • 電話

  • 営業時間

  • 定休日

  • 駐車場

    なし

  • 備考

直方駅殉職の碑・
直方機関区殉職者の碑

業務中に殉職した職員の慰霊碑

西徳寺の裏側にある。直方駅殉職者の碑は1941(昭和16)年に建立され、殉職者24人の霊が眠る。直方機関区殉職者の碑は70(昭和45)年建立。22人の魂がまつられ、台座に「くるしかったろう いたかったろう 二度とこの苦しみは起すまい」と刻まれている。隣には、鉄道と石炭を示すモニュメントとして9600形69638号機の動輪。石炭を積んだ貨車でにぎわった「石炭輸送の基地」で、多くの鉄道職員の犠牲があったことを物語る。

  • 住所

    〒822-0034 直方市山部540(西徳寺の境内)

  • 電話

  • 営業時間

  • 定休日

  • 駐車場

    なし

  • 備考

ACCESS

北九州の副都心黒崎と中間市を経て

直方市を結ぶ動脈

 

筑豊電気鉄道㈱の建設は、第二次世界大戦以前に西鉄の前身のひとつであった九州電気軌道㈱が計画、その後、昭和17年に5社が合併して創立された西鉄の初代社長は、工業都市北九州市、筑豊の炭都地帯、九州の玄関口である商都福岡市の3重要地域を高速鉄道で結ぶことを一大使命としました。昭和18年に敷設免許申請を運輸大臣に提出、第二次世界大戦中とあり申請は返戻されましたが、昭和25年に敷設免許がおり、昭和261951)年2月に筑豊電気鉄道㈱が設立されました。

 建設計画は、西鉄北九州線・西鉄大牟田線(現天神大牟田線)と同規格で、軌間1435mm、駅数30箇所、42両の車両を用いて急行30分~1時間ごと、普通30分ごとに運転し、急行は表定速度52.5km/hで黒崎~福岡間の57.4kmを65分で結ぶというものでした。

 昭和311956)年3月、貞元(現熊西)~筑豊中間間の営業を開始しました。開業当初は、車両を保有せずに西鉄北九州本線(路面電車)からの借り入れ車両と西鉄北九州線(門司~黒崎~折尾)からの車両乗り入れにより運行を行っておりました。現在でも、その歴史を色濃く残しており鉄道ありながら路面電車の車両が走る全国的にも珍しい路線となっております。

 その後、昭和331958)年に木屋瀬まで、昭和341959)年に筑豊直方まで順次開通しました。

 しかしながら、社会情勢の変化、特に石炭から石油へのエネルギー転換による筑豊炭田の衰退のため、昭和461971)年に未成線の筑豊直方~博多間の新線建設を断念、幻の路線となりました。

 平成122000)年11月の西鉄北九州線廃止後、黒崎駅前~熊西間0.6kmを譲り受け、黒崎駅前~筑豊直方間の16.0kmを運転し、北九州の副都心黒崎と中間市を経て直方市を結ぶ動脈となっております。

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